オーストラリアで薬剤師

オーストラリア薬剤師の日常&ローフォドマップライフについて綴っています♪ 

オーストラリア薬剤師の日常生活、薬・健康情報、Low FODMAP dietなどについて綴っています♪

オーストラリアで日本の薬剤師免許をオーストラリアの薬剤師免許に切り替えるためには、まずOETという英語の試験に合格して、KAPSという学科試験に合格して、インターンシップを1年経験し、その後に筆記試験と面接試験に合格しなければなりません

日本でも6年勉強したのに、オーストラリアで薬剤師として働けるようになるためには長ーいプロセスを経なければならないのです‌ 

途中であきらめたくなるほど、道は簡単ではありません‌ 私も、OETの難しさやKAPSの過酷さを経験している最中は本当に自分との闘いできつかったな 日本の国家試験は確かに大変だったけど、大学や予備校に所属していれば悩みを話せる仲間もいるというのは大きかったなぁ(今思えばの話

しかしKAPSは海外の薬剤師限定の試験なので、過去問や資料もかなり限られています。いったい何をどうやって勉強すればいいのかも分からず、かなり落ち込みました。でもオンラインで資料を集めて、後は自己学習です。KAPSはオーストラリアの薬学部5年分の知識の試験なので、これに合格すれば現地の学生同様、薬学部を卒業したのと同じとみなされます。(大学に行き直さなくてもいいということになります

前日は日本の国家試験以上に緊張しましたー。
だって2000ドルもする高額な試験なのですから(なんでも高額な国なのです

そして当日、午前と午後の2部に渡って一日中試験です。コンピューターベースなので選択問題ですが、もちろん計算問題も出ます。受験者はママ世代やご年配の方もいらっしゃったので、自分が若く感じました。(見えただけ?)

お昼に主人が外に連れ出してくれて、休憩中励ましてくれたのはありがたかったなぁ。その後の第2部が難しくて手ごたえなさ過ぎて、終わった後少ししんみりして帰ったのを覚えています。

結果は合格メールで結果が来るので、怖くて初めはチェックすることができませんでしたが、仕事の合間に別室に行って勇気を出して開いたところ、1部も2部もPASSの文字が!

亡くなった祖父が、私にもう一度臨床に戻るように言ってくれているようにしか思えませんでした。何より努力が報われて嬉しい!学生の時、勉強しすぎだとまわりから思われることもありましたが、あの時120%やっていたからこそ、2年以上たっても記憶は多少残っているのだと思います。
ーやったことは絶対無駄にならない
そう信じたかったけど信じて来れなかった今までの人生。
やっと、それが本当であることを自分で自分に証明できました。

「こんなことやっても意味あるのかなぁー?」と思う事、多々ありましたが、

やってる事に無駄はない。
必ずどこかで役にたつ!

のだと思います☆彡

一週間かけて、日本の厚生労働省に申請する書類がやっと書き終わりました‌これは、厚生労働省からAHPRAに直接、私が日本できちんと登録されている薬剤師であることを証明してもらうための書類です。日本で登録されていることだけではなく、罪を犯していないか等まで証明してもらわなければいけません。
薬剤師になるために色々な書類が必要であることを知ってからのこの一週間は、かなりストレスフルだったなぁでも日本に住んでいる両親にも協力してもらえて、こうやってきちんと書きおえることができて本当にありがたいです。
薬局に行く前にresister mailでポストに投函してきました さぁこれから薬局に勉強しに行って、その後は夜までチューターです書類の一部はこんな感じです。これに、返信用封筒を同封します。ちなみに返信用の切手は日本のでなければならないので、両親に別便で厚生労働省まで送ってもらいます。正直、ややこしい‌でも周りの人の協力にとても感謝しています‌ 弱音なんて吐いていたらダメだ。

お父さんお母さん、今までありがとう。私はこっちでも薬剤師になるよ‌やっとここまで(おそらく全プロセスの半分まで)来たよ。

日本で受けさせてもらった教育は絶対無駄にしないから。全てこれから取り戻す、いや、それ以上を目指すからね

厚生労働省

こんにちは!ブログを覗きに来てくださりありがとうございます

最近まで世界で一番住みやすい街に連続で選ばれていた(過去形)オーストラリアメルボルン在住のマギーです

(過去形ですが、現在も住みやすい街です。)

まずは自己紹介をさせてください


周囲と価値観が合わずに辛い小学校時代を過ごし、中学・高校ではさらに迫り来る試練の数々
このままでは駄目だ!と思い切って日本を出るも、言葉の壁や生活習慣の違い、ホームステイ先でのいやがらせ等、想像を超える激動の高校生活を過ごす。

これまでの私のストーリーはこんな感じです↓


日本の高校中退
   ↓
単身オーストラリアへ渡り、メルボルンの高校に留学・編入
   ↓
オーストラリアの高校卒業
   ↓
日本に帰国し薬学部入学
   ↓
日本で薬剤師免許取得
   ↓
大学院で研究の道に入る
   ↓
人生(何度目なんだ?)のどん底を経験。
キャリア変更のためにオーストラリアに戻る
   ↓
オーストラリアで結婚・移住。
留学とは異なり、日本で積み上げてきたものを全部捨てて、異国で一から始めるという、人生最大の選択と決心をする。
ここからさらに人生は波乱万丈になっていくとは知らず・・・。
   ↓
自分に悩む時期
日本では薬剤師だった。でも海外にきたらただの日本人。
私って何?何ができるの?を探す日々を送る。オーストラリアで薬剤師の免許を切り替えるための勉強をしつつ、フードビジネスや翻訳業、日本語教師など、日本にいたら絶対選択肢になかった職業を経験薬剤師への道に関しては、試験にはすべて合格していたものの、インターンシップの受け入れ先が中々見つからず、半分諦め状態。
   ↓
移住4年目
日本語教師として現地の公立高校で働き始め、私はもう薬剤師じゃなくてもいいかな?とキャリア変更しようかと考えていた時。薬局からオファーをいただき、薬剤師への道へと再び導かれる 
   ↓
オーストラリア公認薬剤師として数々のコミュニティー薬局で経験を積む。
日本には無い、薬物中毒に関するオピオイド・ファーマコプログラムに携わったり、ワクチン接種の資格も取得。
   ↓
コロナウイルスの影響でメルボルンがロックダウン
薬局でのワクチン接種などで仕事が忙しくなり、仕事中心の生活を送る薬剤師として最大の試練を経験。
   ↓
主人がステージ4の癌だと発覚。
コロナ感染のリスクの中で働きながら、彼の2年近くの闘病生活を支える。
考え方ががらりと変わり、『生きてるってすごい』、そんな日々の小さな幸せを感じるようになる。
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闘病生活中にさらに勉強を重ね、コンサルタント薬剤師の資格を取得。
薬局の仕事とは別に、薬剤師が患者さんのお家を訪問して1対1でじっくりカウンセリングし、お薬・飲み合わせ等の総合的レビューを行う個人事業主のようなお仕事ができるようになる。
   ↓
主人の治療が終了。ほっとする期間が無いままさらに試練が続くが、それも乗り越えて何とか無事に2023年を迎える
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犬の長男 Tobyを迎える
その後直ぐ、人間いもうとを授かる
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現在、子育て&仕事のやりくりに奮闘中

ローカルにすっかり馴染み、ここがマイホームコミュニティー薬局勤務を続けながら、やりがいを感じているコンサルタント薬剤師業務を通して、東洋医学と西洋医学の良い所取りをしたホリスティックなアプローチ&予防医学を現地のコミュニティーに提供。今後は日本人コミュニティーや日本の薬学業界に向けて活動もしていきたいと思っています。


【主な活動】

・薬剤師/コンサルタント薬剤師 (メディケーションレビュー)
・漢方・ハーブ相談
・薬学英語の指導
・日本の薬学生&薬剤師のエンパワーメント
・Low FODMAPアドバイザー兼コーチング
・日本語チューター
等々。

このブログを通して、オーストラリアでの生活、子育て、医療・薬事情や健康情報を皆さんにシェアしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします
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